数ヶ月前の雨が降る週末のこと、お寺でお坊さんの説法を聴きながら美味しいお茶を楽しむ会に参加しました。この会に参加するために友人達と3台のタクシーに分かれて乗り、会場に向けて出発したのですが、幹線道路に面しているにも関わらずどのタクシーもそのお寺に辿り着けず、裏にある山を登り行き止まりで車が止まってしまいました。そこから歩くこと約5分、意外にも分かりやすいところにあった表門に辿り着いたのは、何だか不思議な思い出です。そして会に参加した何人かが同じように道に迷い、その山を越えてしまった方々もいたようで、これには意味があるように思えたものです。ここには水の神様である弁財天が祀られていて、小さなほこらがあります。私達はみなその祠の裏側に辿り着いてしまったようでした。そんなささやかなプニングがありましたが、由緒あるお寺で仏教のお話しを聴くことができたことは、とてもよい経験になりました。お坊さんの修行や悟りを開くことについての説法からは、日常生活での心の在り方についても考えさせられたものです。様々な宗派があり思考も多岐に渡っているようですが、この世で生きる私達はいつでも感謝をしつつ悪い事をしたらそれを認めて謝るという当たり前のことを心に置いて生きてゆくべきだと強く感じたものです。弁財天が祀られているお寺に行く日に雨が降っていたこと、やっと辿り着いたと場で聴いた奥深い話と美味しいもの達から、「自然の営みを受け入れること」や「生きること」そして楽しむことを学んだような気がしたのでした。