言葉少ない詩がもたらしてくれたもの

この間図書館で、表紙の写真に惹かれた詩集を借りてきました。いつも小説を手にとることが多いので、詩を読むのは何年ぶりでしょうか。パラパラとページをめくり、気になったところから目を通していったのですが……少ない言葉は、身に染みますね。すべてを語るわけではないからこそ、この文言は本当は何を言いたいのか、行間に隠されている意味まで含めて、考えてしまいます。小説は多くの単語を費やしていろいろと説明してくれているので、ここまで熟考することはあまりないのです。
そういえば昔、詩人が作家になることはできるけれど、逆は難しいと聞いたことを思い出しました。確かに、文章を削り落としていくのは、かなり大変なことでしょう。ひとつの単語を想像し、そこから話を脹らめていくほうが、いくらか簡単そうな気がします。もちろん、知ろうと考えですし、実際はどうかわかりませんけどね。
なんでもつい好きなジャンルを固定してしまいがちですが、たまにはこうして、違ったものを見るのもいい刺激になりますね。ここから興味が広がって、自分の可能性も開けていくかもしれません。これからは、もっといろいろなものを見たり経験したりしていきたいです。

餃子をくれた料理上手な友人

昨晩、友人から頂いた有名店の餃子を食べました。冷凍庫に大切に保存していたそれをいつ食べようかと楽しみにしていたところ、やっと胃袋に入れる時が巡ってきたのでした。フライパンに油をひき、水をたっぷり入れて蒸し焼きにしたら見事な羽根つき餃子が完成しました。ジューシーであっさりとしたお味から、何個でもいけると確信したことは言うまでもありません。
この代物を私に提供してくれた方は、お料理上手な女性です。彼女の舌はとても肥えており、今まで美味しいものをたくさん教えてくれました。餃子については皮から作ることを惜しまないこだわりで、過去に振る舞って頂いたことがあります。その時は寒い冬だったこともあり、白菜が入ったヘルシーでボリュームたっぷりな逸品がテーブルに山盛りに並んだのでした。それらは忘れられない味として体が欲するほどに美味でした。そんな友人の家には料理の本や雑誌がたくさん置かれていて、とても勉強家だということを伺い知ることが出来ます。私も見習うべく、訪れた際には拝見させて頂いております。
「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、特技として身に付けるには日々精進が必要なようです。実際に味わったものや書籍から料理を学び、振る舞ってくれる友に感謝と尊敬の念を抱いております。

忘れかけた衝動を思い出させた映画

日本のアニメーション映画を観ました。とても胸を打たれてしまい、いつまでも余韻が消えることはありませんでした。
男女の高校生が夢の中で入れ替わり、全く違う生活を体感しながらも描かれる壮大なストーリーに惹き込まれていき、観終わった後には「明日への希望」を感じることができました。それはとてもベタな表現かもしれませんが、今ある日常に愛情を抱く気持ちが湧いてきたのでした。また小さな村にある湖や山などの自然、都会の高層ビル群やネオンのきらめきなど随所に散りばめられた映像の美しさもこの作品の魅力の一つだと思いました。こうした映像美に胸をときめかせながらも、自然災害などどうすることができない出来事に対して果敢に立ち向かう主人公達、人との巡り会いを通してもたらされる奇跡など物語は人間の力強さと温かさを気付かせてくれます。
長い物に巻かれる楽さに身を委ね、変えることができないとはなから諦めてしまう自分がどこかにいます。これは大人のずるさでもあり上手に世間を渡るコツだと思っていた私にカツを入れてくれた気がします。潔く諦める前に少しでも行動を起こすことで全く違った方向へシフトチェンジすることが出来ることを考えるよい機会になりました。この映画は衝動のように心が突き動かされた素晴らしい作品だったと感じています。

くちなしの香り

道を歩いている時やふと窓を開けた時に季節の移り変わりを感じることがあります。それは空に浮かぶ雲の形であったり、どこからか漂ってくる植物の香りであったりと様々ですが、変わりゆく四季を肌で感じると気持ちが研ぎ澄まされるものです。
今読んでいる小説には、下町で暮らす主人公が五感で感じる季節がとても丁寧に記されています。金木犀、桜、睡蓮などで表現される描写は、まるで私が物語の中にすっぽりと入って肌で感じているような気持ちにさせてくれます。作品の中で私が最も印象的だったのは「くちなし」について書かれた描写でした。この花は白くて可愛らしくてとってもよい匂いがします。6月の入梅時期に花が咲くため、くちなしの香りが遠くから漂ってきたことで雨の季節が到来したことを知ることもしばしばです。こんなにもくちなしが心にあるのは、今から3年ほど前の6月に苗木を購入したからかもしれません。たまたま通りかかったフラワーショップの軒先に売られていた小さな鉢に植わった苗木に魅了され買いました。日当たりがよい窓辺で育てていたこともあり、翌年可憐な花を咲かせ私の部屋はとってもよい香りに包まれたのでした。そしてこの小説を読んでいたら、無性にあの香りが恋しくなりました。いつの日かまたしっとりと咲く可憐な花に出会えることを楽しみに日々の生活を送っております。

一度はお目に掛かりたいプリンアラモード

小説を読んでいたらプリンアラモードが出てきました。山に囲まれた少ない人口の村にある唯一のケーキ屋さんのショーウインドーにこのスイーツが並んでいる光景が描かれていたのです。いい具合に絡んだ香ばしいキャラメルソースと可愛らしく盛り付けられたサクランボなどの果物とホイップされた生クリームのイマジネーションはどんどんと膨らんでいきました。ケーキ屋さんに行くと他のケーキを購入することが多いため、あまり気に掛けることが無かった商品でしたが、この小説を読んだ時元祖プリンアラモードを提供する老舗ホテルのことが鮮明に記憶の中を駆け巡ったのでした。それを知ったのは定食屋さんについてのエッセイ集でした。定食好きの筆者が調べ上げて足を運んだ店を紹介した書籍で一時期よく読んでいたものです。このエッセイに港町にある歴史あるホテルのレストランが掲載されていました。ここはプリンアラモード発祥の地でもあるそうです。白いお皿に盛られたそのスイーツの写真を見た時、生きている間に一度は食べたいものとして心に刻んだのでした。あれから年月が経ちましたが記憶の奥底にしっかりと焼き付いていたようで、プリンアラモードへのまっすぐな気持ちは今でも健在です。そしていつかこの港町を訪れた時に高級感溢れるレストランであの可愛らしいスイーツを堪能しようと誓ったのでした。

古本との向き合い方を極めるために

古書店は本好きにとってかけがえのない場所です。お店に一歩足を踏み入れて、商品が陳列されている棚を眺めながら「これ」といった作品に出会うあの喜びは一度味わうとやみつきになるからです。こうしたささやかな感動を味わうことが生活に根付き始めた頃、興味深いエッセイを手に入れたのでした。それは古書をこよなく愛するライターが、古本屋巡りについて記したものでした。店を訪れた時のマナーやとってもおきの書籍の見つけ方など、どれもとても勉強になるものばかりでした。特にマナーについては日常的にも心掛けておきたい内容だったことが胸に刻まれています。例えば大きな荷物は極力持って行かないようにすること、もし持って入るのであればレジの人に預けることが好ましいなど愛する本との付き合い方と群衆の場でのマナーはどこか似ていると感じたものです。またその日最初に「欲しい」と思った品物は躊躇せず購入することで、その日の戦利品調達に大きな影響力があることなどその道を極めていなければ分からないことが盛りだくさんでした。こうしたことから、本との出会いの面白さを改めて気付かされたのでした。近々古書店へ出向き思い存分買い物を楽しもうと目論んでいます。

小さくて可愛いらしい緑の葉っぱに思いを馳せて

自然は時として驚異をもたらしますが、私達の生活に豊かさを与えてくれるものでもあります。ある晴れた朝のこと、玄関先に置かれていた鉢植えのハーブが枯れてきていることに気付きました。それを発見した時切ない気持ちになりながら、植木バサミで枯れてしまっている葉と茎を切り落としたのでした。枯れていた葉が無くなり土と少しのハーブだけになってしまった大きな鉢植えを見た時、小さくて濃い緑の葉が幾つも顔を出していることに気付いたのでした。その小さくも美しい葉から生命力を感じ、私の心に強いパワーを感じました。移り変る命を感じる場がこんなにも近くにあったことに嬉しく思ったし、幸福感を抱きよいことが起きそうな予感がしたのでした。
動物や植物は素直で本能的です。自然の営みの中で生きるためには、私達人間のように躊躇したり考えたりするよりも直感で動くことで命を守ってきたからです。以前読んだ小説にも、人と自然の興味深いエピソードが書かれていました。人里離れた山に籠り数ヶ月を過ごした青年は激しい雨に当たりながら、生きることを問います。その激しい雨や生い茂る森の木々は彼に命の存在意義を投げかけたのでした。不安や葛藤を持った時、自然がもたらす現象や命は、私達に新しい感覚を与えてくれるものです。それは都市で暮らしていてもアンテナを張っていれば捉えることができるものだと思います。人間がこの世の全てを作っているというおごりを捨てた時に得ることが出来るものは、時に大きな影響力となり価値観をも変える力があるのではないかと感じるのです。

亡き人の面影を残す女性の物語

遥か遠い国の一室でおこなわれた朗読会について書かれた小説を読みました。ゲリラの襲撃を受けて囚われた日本人達とその国の兵士が、夜ごと自分の身に起こった体験を発表した朗読を集めた作品で、どの話もとても興味深いものでした。職業も年齢も性別も違う人々の体験談は丁寧に描かれており、日常生活の機微を描いていました。また「死と生」について語られたものが多く、遥か彼方で起こった出来事のようでもあり身近に潜んでいるもののようにも感じた不思議な作品でした。
幾つもの物語が収められている中で一番心に残っていたのは、幾度となく初対面で出会う人達に、彼らの亡くなったおばあさんに似ていると言われてきた女性の話でした。そのおばあさん達は性格も背格好も顔の造りも異なるのに、ふと醸しだれる表情や顔がその女性に似ていると他者から話しかけられます。繊細に描かれているため信憑性を感じてしまい、小説と分かっていても現実に起こっているかのように思えたことは言うまでもありません。
「亡くなったおばあさん」に似ていると語った人々の心の中に刻まれたおばあさんの存在。そしてふとした出会いから亡き祖母を思い出す機会を与えてきた語り手の女性には、生まれ持って与えられた宿命のような深いものがあるように感じたのでした。

マンガと昼寝は青春の思い出

雨がしとしとと降る午後に部屋の中で読書をしていました。お昼ご飯に味噌煮込みうどんをたらふく食べたためか、体がお休みモードと切り替わったことを覚えています。急激な眠気が襲ってきて、昼寝をしたのでした。実はじっくりと昼寝をしたのはかなり久々で、起きた時の何とも言えないだるさと頭がボーっとした感じはとても新鮮でもありました。この余韻に浸るべく布団の上で座って佇んでいたところ、頭をよぎったのは学生時代のことでした。
テスト期間は早く家に帰ることが出来たこともあり、決まって昼寝をしていたのです。勉強をしなくてはと思いながらも眠気には勝てずにベッドに入って気が付くと夕方で、お菓子を食べてテレビを観ているとあっという間に夕飯がやってきて、また眠るというかなりの怠け者だったことは言うまでもありません。
もう一つ私の青春から切り離せないものがあります。それは「マンガ」です。クラスメートや友人達と貸し借りをしており、勉強机の横にちょこんと置かれたそれらを手にしたら最後、教科書を開くことなく時間は過ぎたのでした。読んでいた作品は、少年向けコミックに連載されていた恋愛物語、男女のドロドロの愛憎劇を描いたもの、ギャグマンガとかなり幅を利かせていたことが伺えます。中でも中毒のように欲していたものは、ギャグマンガでした。個性的な男子7人組が主人公の学園コメディ、独特のシュールでユニークなキャラクター達が登場する卓球部を舞台にした青春コメディは特に私のハートを掴んだのでした。そしてあの頃読んでいたコミック達はその後の読書人生にかなりの影響力を及ぼしたと言えるのです。それは今でもパンチが効いたものや面白いものに心惹かれるからです。あの頃もっと違った時間の使い方があったかもしれませんが、「マンガ」と「昼寝」を愛していた女子だったことはよい思い出なのでした。

優しく寄り添う命宿るもの

柔らかくて温かさを感じることが出来るものを手にすると、心が満たされます。それは頭で理解するというよりも心で感じるという表現がぴったりだと思うのです。先日読んだ小説は先に挙げたような心地良さを味わうことができる不思議な優しさが込められた作品でした。せわしない日々が続いてとっても疲れてしまった夕刻の電車の中で、その優しさに触れた時涙が滲んでしまいそうになりました。それは今まで味わったことがなかった新鮮な気持ちでした。
芸術家が集まる家でお手伝いをする青年は森で出会った動物を飼い始めます。その生き物が一体何なのかもよく分からないのですが、命宿るものが持つ優しさと美しさを読み手である私に与えてくれました。言葉を発するわけではないけれど、主人公のそばで寄り添う行動からこの青年のことを全て知り受け止めているのではないかと思ったのでした。
どんなに濃厚な人間関係でも相手の全てを受け入れる事は非常に難しいものです。そこが「人」の奥深さなのかもしれません。時に上手く行かずジタバタとしてしまう人との関係を考えるとただ寄り添うだけで満たされる生き物との関係は、密度があるような気がしたのでした。
あの日の電車の中で1冊の小説から受けたあの感覚は、当時の私の状況を強く物語っていました。満たされたいという願いとそれが叶わないことがとても切なかったのでした。そんな私に温かいものに触れる時間を作ってくれた物語の存在は、今も心に寄り添い続けています。