ラストシーンが突き付けたもの

小説の面白さの一つに、「思いがけないラストシーン」があります。それは映画などの映像作品でも同じことが言えるかもしれません。最後まで息を着かせない程に馳走するストーリーの果てにある読者を裏切るような驚愕のラストは、完読しても余韻を残して胸の奥にいつまでも存在し続けるものです。
つい最近読んだミステリーも、切なくも驚きの結末が待ち受けていました。辛くも悲しい愛の物語は美しく幕を閉じると思ったのも束の間、皮肉にも人間の奥にある闇を暴いて終わりを向かえました。男女の三角関係の末、愛する男を殺した女性と共に逃避行したヒロインは、人里離れた島で隠れるように暮らし亡くなります。若い頃の悲恋と逃避行を胸にしまっておけず、死ぬ前にそのことを書き記し出版社へ送ります。そこには共に暮らしたロシアを亡命した女性のことが書かれていました。死ぬ前に書かれた出版社への記事はかつての恋敵でもあった彼女への復習だと強く感じたものです。勇敢で優しく強いヒロインでしたが、ふと覗かせた心の闇に勝つことは出来なかったのでしょう。しかし亡くなる前に復讐を後悔したためか、あの時送った原稿は全てウソだったという手紙を書くのですが命が着きそれを送ることなく物語は幕を閉じるのでした。
人間はそんなに強くないし、心の闇に勝てないこともあるのです。この作品は決して美談で終わらせず、闇の奥にある残酷さを突きつけたのでした。そして人の弱さやはかなさは読者である私の心に深く刻まれ、忘れられない作品として心にあり続けています。

映像作品を体感したイベント

何年も前から聴いている洋楽アーティストの映像作品を鑑賞できるイベントに行ってきました。訪れたイベントは公共施設でおこなわれたもので、バーチャルリアリティを駆使したモニターを見ながらアーティストの世界観を体感できるものでした。ブースの中でヘッドフォンを耳につけ、配られた機器を頭に装着して目と耳で360度の映像を肌で味わいます。そこには今まで体験したことのない世界が広がっていました。中でも立った状態でこれらの機器を装着して映像と音楽を楽しむブースでは、これまで観た事のない程に美しいバーチャルな作品が展開されました。この未知の時間は今でも脳裏に焼き付いており、生涯忘れることはない貴重なものになったと思います。
この女性ミュージシャンとの最初の出会いはまだ学生の頃でした。当時仲がよく今でも親交がある女友達は、ファッションセンスに強く惹かれていて18歳になった頃「この女性のファッションを目標に今年はセンスを磨く」と宣言したことは微笑ましい思い出でもあります。それから何年も経ち、好意を寄せていた男性から彼女の半生を綴った書籍を借りました。自分が好きなものが一緒だったことが嬉しくて、書籍を一生懸命読んでお互いの意見を交わしたものです。
あれから長い年月が過ぎて最先端の技術を駆使した環境で美しい映像作品を体感したことをとても感慨深く思います。またミュージックビデオを大画面で観ることが出来るブースでは、寝転びながらフカフカのクッションを頭に引いて鑑賞しました。どれも懐かしくてそれでいて美しくてずっとこの世界観に浸っていたいと思ったものです。
今まで生きてきて体験したこと、このイベントで味わった心に残る時間はどちらも生涯忘れることのない、貴重なことだと心から感じたのでした。

情緒あふれる光景を胸に秘めて

もう何年も前のことです。友達が住むアパートに遊びに行った時、窓から大輪の花火を見ました。梅雨が明ける前の蒸し暑い夜に美しく空に上がる花火はとっても綺麗で、幸先良い夏の始まりを感じたものです。友人が住むアパートは築年数50年のレトロな物件で、畳の部屋には大きな窓があります。その窓の外には洗濯を干す竿がかかっていて、道路にはいくつもの電信柱がありました。またその日は梅雨の晴れ間ということもあり、夜にも関わらずタオルがたくさん干してありました。上がる花火を時々それらが邪魔をして遮ることもあったけど、あの夏の光景は味があって情緒溢れていて日本の夏を味わえたことを今でも嬉しく思います。
私は昭和の頃に造られた建物や雑貨がお気に入りです。例えば木目調の丸い形をしたちゃぶ台、レトロで涼しげなグラスなどを見ると心がときめくのです。こうした感情は物だけに限らず、エッセイや映画からも感じることができます。昭和を舞台した作品には人の暖かさが散りばめられていて、心にポッと光を与えてくれるからでしょうか。友人宅で過ごしたあの夏の日はそんな私の素敵な思い出です。あれから時が過ぎ彼女は引っ越しをしました。そしてあのアパートは今もそこにまだあるかは分かりませんが、私の心には趣ある光景としてしっかりと刻まれているのでした。

懐かしき思い出と音楽のソウルを感じた夜

先週末、とっても素敵な本の刊行イベントに行ってきました。ラジオDJ、ブロードキャスターとしても活躍する作者は世界中の音楽をこよなく愛する人です。この方が手掛けた逸品ともいえる曲達を紹介した書籍の発売を祝したこのイベントは、アットホームで心暖まるものでした。独自の視点で捉えた社会情勢を語りながら、質のいいアンプから流れる音楽を聴いた時間は至福だったと感じています。特に印象的だったのは曲の解説を受けながらゲストミュージシャンが奏でるピアノに合わせて観客みんなで合唱したことでした。大人になった今では、みんなで声を揃えて歌う機会は滅多にないためか、とても新鮮でした。そして気が付くとリズムに合わせて体が動いていて、心身供に満たされた時間だったと感じています。
またイベントでは、中学時代に受けた英語の授業を思い出させてくれました。先生は洋楽が好きだったようで、授業の始めに歌詞を解説してくれてその曲を歌いました。上手に奏でることはできなかったけど口ずさむだけで、英語が話せるようになったような気分を味わったものです。あれから長い月日が流れた今、あの時受けた授業はとても貴重な体験として私の中にあり続けています。
この夜聴いた曲達はどれもソウルフルで力強くて、心の底からパワーが湧いてきたものです。また遠い昔のことを思い出させてくれた素敵な夜でもありました。これを機に英語詞の意味を追及したいと思ったし、もっとたくさんの音楽を知りたいと感じました。初心に帰りながらも新しい世界の幕開けにワクワクしています。

知ることで救われることもある

「生きるって大変だな」と思うことがあります。大きな達成感を得たり、心温まる幸せを噛みしめたりする時もあれば、大きな壁にさえなまれたり悲しい気持ちになったりと試練も降り注ぐのが人生だと思うようになりました。よいことしか起こらない人生はないし、困難があるからこそ成長できるのは頭で分かっていてもなかなか心はついてゆかずに戸惑うこともあります。以前友達とお酒を飲みながらそんな話をしている時に言われた言葉があります。それは「人には同じ分だけの幸せと苦労が与えられている」ということです。だから若い時に苦労をすれば晩年はきっとそれが報われると話してくれました。「若いうちの苦労は買ってでもしたほうがよい」という言葉に妙に納得したものです。また一方で以前に読んだ本では「試練は乗り越えられるものしか与えられない」ということが書かれていました。この二つのことをみても生きるということは本当に奥深いことが分かります。
もし困難にぶつかった時、自分だけで抱え込まず誰かに話すことや書籍を読む事で開けることがたくさんあると思います。私自身もそうすることで乗り越えられたことも少なくありません。また作家や昔の偉人の言葉には説得力がありためになるものが多く存在することも知りました。「知る」ということは大きな意味があり、良き糧になることをこの身で感じたことは私にとってささやかな宝物です。

衝撃を与えてくれた小説

すごい小説を読みました。一度ページを開いたら止まらなくなってしまい、ノンストップという言葉がぴったりといったスピードで完読しました。この小説は殺人鬼である女性の半生を描いたものです。殺しに手を染めてゆく主人公の短絡的で自己中心的な行為は許しがたくも、どこか同調してしまう自分がいました。それは同じ女性の「さが」なのかもしれません。
主人公の心には深い闇とコンプレックスがあります。親の虐待を受けかつ残虐な事件のトラウマもあったのでしょう。幼い頃の経験が引き金となり歪んだ人格を作り出してしまったのかもしれません。特にコンプレックスや嫉妬が心の中で増幅してゆくことは、とても恐ろしいことだと改めて知りました。また生まれてくる子供に家族を選ぶことはできないこと、宿命ともいえるこの残酷な現実はとても心が痛みます。同時に成長過程における環境がいかに大切かを感じました。
最も度肝を抜かれたのは、ラストに突き付けられる思いも寄らない真実でした。それは今まで綴られてきたストーリーを覆すほどのインパクトと衝撃だったのです。衝撃は余韻と供にまるでかさぶたのように胸に残るところが、この小説の面白さだと思いました。今まで味わったことのない作品を読んだことで、また読書の面白さを再認識したのでした。

母と子の絆を描いた映画

母と子の関係は別な存在だと思うことが多々あります。幼い頃、風邪を引いて熱を出した時などお母さんが看病してくれたお蔭で、安心してゆっくりと休むことが出来たことは今でも脳裏に焼き付いています。こうした過去の思い出からもその存在感の大きさを知る事ができます。また大人になってからも話しを聴いてもらいながら一緒に食事をして、パワーをもらうこともしばしばです。長年供に生きてきたためか感情の行き違いが発生することや、意見の違いから言い争いをしてしまうこともあるけれど、大きな懐で包んでくれる愛情は特別なものだと感じます。
私は母と子の関係をテーマにした小説や映画にも触れてきました。その中でも忘れられない1本の映画があります。それは中学生の頃、映画が大好きなクラスメートの男の子から借りたビデオテープでした。14歳の早熟な男子が教えてくれたこの作品はアメリカで制作されたもので波瀾万丈な人生を歩んだシングルマザーとその娘の姿を描いたものでした。お互いの考え方を上手く受け入れることができず、切ない別れを余儀なくされるとても切ない物語で今でもふと脳裏に浮かぶことがあるものです。特に娘のウィディングドレス姿を遠くから見守る母の姿が映し出されるエンディングは、胸の奥底に刻まれています。
どんなに固い絆で結ばれていても分かり合えないことはあるものです。悲しいことにもその絆が強いほど反発し合うものなのかもしれません。しかしながらこの世に生まれてきたきっかけを作ってくれた親に敬意を払い感謝する気持ちを持つことは、今の自分の存在を受け入れることにも繋がることを心得て起きたいと思うのです。こうした思いを持つことが出来るのは大人になった証拠なのかもしれません。

小さな幸せは植物観賞から

暮らしの中でささやかに感じる幸せはいいものです。決して大き過ぎず小さくて心温まる幸福感は心の奥底に染み渡るものだと感じるし、こうしたささやかな幸せを感じることが出来る状態こそが生きていく上でいいモチベーションだと思うものです。
私の友人に土いじりが趣味な女性がいます。彼女はいつでものんびりしていて尖った感情を見せることが滅多にありません。何か嫌なことがあった時は植物に触れることで気分転換できると教えてくれたのも彼女でした。この話を聞いてから、おうちにある植物に水をやること、のびのびと成長した緑の葉などを観察しているととても心が晴れやかになることに気付かされました。
友人の話も去る事ながら植物と言えば「これ」という一冊の本があります。それは草木や野菜、花を育てることを描いたエッセイです。クリエイティブな仕事をする著者らしい観点で描かれた世界観がとても面白く、また命あるものと供に暮らすことは日常にいいスパイスを与えてくれることを教えてくれます。
日々の会話やエッセイから暮らしの中にある「ささやかなもの」に目を向けるようになりました。そんな私がここ数年注目しているのは「コケ玉」です。お花屋さんやおしゃれな雑貨屋さんでも目にすることがあり、丸くて愛らしい苔をお部屋に置いて育ててみたいという衝動に駆られるのです。決して大輪の花を咲かせることはなくとも、青々とした苔を観ることで「生」を感じることができることは、暮らしの中にひっそりと存在する非日常だと感じるからです。

昼下がりにはミステリー小説を

昼下がりの太陽が燦々と輝く午後に、家の中でゴロゴロしながら読書をすることがたまらなく好きです。そんな日は好きなスイーツを買い込み、アイスやチョコレートを食べながらただひたすら面白い小説を読み続け、あっという間に夕方になっていることもしばしばです。そんな読書三昧な昼下がりを過ごすことは贅沢だと感じている今日この頃であります。
先日近所の中華屋にランチを食べに行き、その帰りに本屋に寄りました。そこで購入したのは、大正時代の華やかな異人館が並ぶ街を舞台にした作品でした。この街には撮影所もあることから俳優、女優、作家なども集まるため、刺激と個性が溢れています。そこにある一人の少女が父親を探しにやってくるところから物語は進み、彼女が家政婦として働く洋館に住む美しいロシア人女性を巡るミステリーが展開されてゆきます。大正時代を描いていますが、まるで現代社会で生きる人々を描いているようでもあり、エキゾチックで妖艶な高級娼館の色っぽさや華やかさに魅了されたのでした。この作品の世界観にはまってしまい、気が付いたら午後6時を回っていたことは言うまでもありません。途中眠気に襲われ昼寝をしたりもしましたが、およそ3時間読書に興じました。もちろん夕食後も布団の中でその世界観を堪能したことは言うまでもありません。ミステリー小説の醍醐味は、物語にどんどん魅了されて本を開いたら止まらないところにあると改めて感じました。

新しい好きなことに出会うこと

高校時代に出会ったバンドのCDを聴いた瞬間、衝動を覚えました。それはパンクと呼ばれる音楽でした。この世の粋も甘いも知らずに生きてきた私はパンクを聴いた時、すごいものに出会ったと感じたのでした。それからというもの、友人と学校の帰りに中古レコード店に寄り、CDや雑誌を購入したのを覚えています。その頃様々なジャンルの音楽雑誌が発売されていて、未知のジャンル知りたかった私はそれらを食い入るように読んだものです。ミュージシャンがどんなことを考え、どんな風に曲を作ったかを知ることはよい勉強になると供にアーティストを身近に感じる手段でもあったのだと思います。そんな心を突き抜けた衝動はそれから先、何度か経験することになるのですが、いつもまるで初恋をしたように心がパッと明るくなったことを覚えています。そしていつでもCDなどの媒体を通して作品を聴いて、そのミュージシャンについて書かれた雑誌を読んで音楽を身近に感じてきました。あれから時が経った今でも、こうしてたくさんの作品に触れてきた事は私の人生の大きな宝物だと感じています。年齢を重ねて胸を打つような衝動に出会うことも少なくなりましたが、時折学生の頃のような強い思いに駆られることがあります。こうした気持ちは新しい世界に足を踏み入れたような感覚を覚え、ワクワクしたとても前向きな気持ちになるものです。そしていつまでも新しいことを貪欲に受け入れる心を持っていたいと思うのです。これから先も音楽のみならず小説やエッセイなど電撃的な出会いがある事を楽しみに生きてゆきたいものです。