この間の週末に、とっても面白いワークショップに参加しました。それはヨガの哲学についての講座でした。ここ最近ヨガ人口は増えつつあります。その魅力は体にもよいことはもちろんのこと、心の調和をとることにもいい効果があると言われているからだと思います。特に哲学についてはとても奥深いメソッドがあるようで、兼ねてから知りたいことの一つでした。そのため参加したワークショップではヨガを根本から知ることが出来たとてもよい時間となりました。
インドでは貴族や僧侶らがおこなうもの、厳しいカースト制度の中で学ぶことが自由にできない人々がおこなうものと大きく二つにくくられているそうで、特に後者は例えるならクラシック音楽の中で異端児のようにロックをやるようなものだそうです。その例えがとても斬新で、ユニークでした。この日はヨガの教えについて書かれた本も紹介いただき、近々購入しようと思っています。本屋にはインドの言葉を和訳したこうした書籍がたくさん並んでいるそうです。今まで手にしたことのないジャンルを知ることは、とても心が踊ります。また日常生活に生かすことができる心との向き合い方も今回のワークショップを通して得ることができました。こうしたカリキュラムからは自分を大切にすることやそこから生まれる人への思いやりといった忙しさに紛れて忘れがちな事を再発見したものです。これからも面白そうなイベントには積極的に参加して、豊かな雑学を貯蓄していこうと思います。
庭が美しい京都のお寺
本のページをペラペラとめくっていたら、京都について書かれた記事を見つけました。お寺や喫茶店、おばんざい、和菓子などこの街にはたくさんの魅力が詰っています。特に寺院はこの都市の顔とも言える存在であり、それぞれの特色を生かした建造物は訪れる者の心を穏やかに優しく包み込んでくれそうです。
この書籍には庭が美しいお寺が特集されていて、それらの建造物を巡る歩き方と供にコースが組まれていました。紹介されている寺は砂に幾つもの線が描かれた芸術色の高い庭ばかりで、その写真からも静寂と美しさを感じることができます。縁側の畳に腰をかけてずっと庭の景色を眺めていても決して飽きることはなく、そこにある緑や花や鳥の声などすべて変化する一瞬一瞬の情景を楽しめそうです。そんな時間を過ごすことは、日常においてとても贅沢な時間だと思うのです。
私もいつか美しい庭を巡る旅をしてみたいとこの書籍を読みながら思いを馳せています。そんな旅は非日常の静けさを肌で感じることで五感が研ぎ澄まされ、今まで思ってもみなかった良いアイディアが生まれてきそうです。そしてその思考は生活の糧として日々の暮らしによき変化を与えてくれそうです。こうした非日常を体験することこそが旅の醍醐味なのだと感じます。
窓を伝う雨の見ながら
雨がしとしと降る日は憂鬱な気持ちになり、外に出たくないと思うことがあります。そんな感情とは裏腹に神秘を感じることもあるものです。以前女性ミュージシャンのインタビューを読んだ時のことです。その記事では透明感溢れる新曲が出来るまでの経緯を語っていました。夜に見たタクシーの窓を伝う水滴が美しくかったことがきっかけとなり新しい曲が生まれたとのことでした。この記事を読んでから私も電車に乗っている時に窓を伝う雨を気に掛けるようになったものです。ガラスを伝いながら一定方向に動いてゆき、辺りを照らす光と供に数秒で変化を繰り返してゆく姿は美しくもあり切なくもあります。そしてその光景はいつしか心を落ち着かせてくれるものとなりました。こうしたことから雨をテーマにした音楽や小説が多く誕生していることも納得できます。ちなみに女性アーティストが歌った曲は切ないというよりもすがすがしさと心地良さをもたらしてくれます。そのため今まで抱いていた悲しさや憂いといったものから美しさへとイメージは変わってゆきました。
もし雨の日に窓の外をじっくりと眺める機会があったなら、一休憩してその光景に心を馳せてみるのもよいかもしれません。この一休みは乾き気味の心にも潤いを与えてくれそうです。
10代を歌った曲が与えてくれたこと
小学生の頃に友達と宝物を公園の木の下に埋めようと企画をしたことがありました。大人になった時にそこを掘り返して子供の頃に埋めた大切なものを掘り起こしたらどんなに楽しいだろうと思ったからです。実現せずに終わりましたが、計画していた時間は思い出として心に刻まれています。そんな思い出がふと頭をよぎったのは、先日ラジオから流れた曲を聴いたことがきっかけでした。それは10代の若者達が大人になった自分に手紙を書くという歌詞が胸を打つ素敵な曲でした。詞にはどんなことがあっても今を生きていくことの大切さが描かれており、未来の自分が幸せであって欲しいというストレートな言葉はとても勇気づけられました。
私が10代だった頃もやはりその年代ならではの悩みを持ち、葛藤していたことを思い出します。そして年を重ねた今ではその頃の悩みの答えは、迷宮入りしてしまったような気がするのです。生きているということはいつの時代でも幸せなことばかりではなく、挫折や苦悩があるものです。こうした壁にぶち当たった時にふと耳にした音楽や手にした文学に励まされることも幾度と経験してきました。それは10代の私も同じだったように感じます。これから先も芸術作品を通して学び、友人や家族と助け合いながら濃密で奥が深い生き方ができればよいと感じています。
親と子の関係を描いた考え深い小説
家族とは生まれて初めて人間関係を築く場所です。そのことに気付いたのは年を重ねてからでした。またこうしたことを真剣に考えるきっかを作ってくれたのは今まで出会ってきた小説や映画だと思います。奥が深く濃厚な作品達は家族というコミュニティで葛藤しながら生きる人々の姿を鮮明に私の心に焼き付けてくれました。そしていつまでも色褪せることなくずっと胸の中にあり続けています。
先日読んだ作品に思春期を皮きりに父の事業や仕事に反発してきた男性が主人公の小説があります。お互い長い間会うことはなかったのですが、父が病に倒れたことをきっかけに再開を果たします。心は通い合わずにすれ違ってはきましたが、この親子は憎しみ合うという形をとりながらもお互いを必要としていたことをこの小説は描いていました。そんな二人が現実とは異なる世界で出会い、過去の出来事を振り返りながら旅をしてゆきます。その旅はほろ苦くもあり気持ちを前向きにしてくれるものでした。また確執を少しずつ解消してゆくことは、この男性を大きく成長させる糧になり、自分の家族に対する意識にもよい変化をもたらしました。
「幾つになっても親は親、子は子」と言います。この小説は親と子の絆は繊細だけれど強くて太いパイプのようなものだということを改めて気付かせてくれた素敵な作品だと思いました。
心地よい風と静けさは格別な時間
ある晴れた日の夕方のことです。まだ傾き始めた太陽が元気に照らしていて、外はゆるやかな日差しが注いでいました。私は部屋で一人本を読みながら、窓から入ってくる風の心地よさに身を任せるようにうとうとしていました。居眠りからふと目を覚ました時、あまりの静けさに自分がいるところが何処か分からない錯覚に陥ったものです。普段は子供が遊ぶ声や近所の人々が犬の散歩をしながら井戸端会議をしている声で活気がみなぎっているのですが、車が走る音と干しているタオルを止めている洗濯バサミが風で揺れる音以外は聞こえてこない不思議な時間でした。まるで時が止まってしまったような、異次元の空間にいるような感覚が脳裏に焼き付いています。そして目が覚めて読書を再開した頃、どこからともなくコーヒーのいい香りが漂ってきてこの世に私以外の人がいることを覚え、ちょっと安心感を覚えたものです。その後私も苦くて美味しいコーヒーが無性に飲みたくなり、大きなマグカップに並々とコーヒーを入れて味わいながら飲みました。
心地よい空間でゆっくりと静かに読書をすると、とても集中して本を読むことができるものです。そして私はこうした時間をとても気に入っています。友人や家族と語らいながら食事をすることやワイワイお酒を飲むのも本当に楽しいことですが、静寂と風の音を感じながらゆっくりと部屋で過ごすことも私の人生には必要なのだと感じます。そのお供にはやはり本が必需品です。
自分の全てを受け入れる大切さ
先日とても興味深い本を読みました。それは自分らしい生き方とは何かを子育てを通して書かれた作品です。アメリカの心理学者などの作品に登場する言葉達を挙げながらとても丁寧に分かりやすく表現されており、現代を生きる私達にとって知っておきたいことが山ほど詰まった本でした。中でも印象に残っているのは、成長過程で親が子供に対して嫉妬をすることや思うようにさせるために働きかけることは大人になった時の性格に多大なる影響を及ぼすということです。様々な事例を挙げながら記されている内容からは今まで経験した良い事、悪い事を受け止めて整理する方法を得ることにも繋がります。こうして一つずつ心を整理しながら自分の好きなところも嫌いなところも受け入れることがまず一歩だということ、そして肯定的になることがポイントだということを知りました。嫌いなところと向き合うことは少々辛いことかもしれませんが、それを受け入れることは人にも寛大になれるというのはとても納得でした。また誰しも欠点はあるものですしそこを目ざとく気にしていたら恐らく誰のことも愛せないと思います。誰かを愛するということはその人の全てを受け入れることなのだということを改めて考えさせられたものです。
よい人間関係とはお互い自立して認め合うことだと思います。また依存しすぎず他者の考えを尊重することは自分の価値観や考え方も広がるのではないでしょうか。私もこの書籍で学んだことをもっと噛み砕いて肩の力を抜いて生きて行けたらいいと感じています。
心から魅了されたペルー出身の写真家の作品
日本の真裏に位置する南米に対して以前から興味がありました。それはアルゼンチン出身の作家の小説を読んだことや雑誌のグラビアなどで観た美しい写真がきっかけでした。それからというもの南アメリカへの関心は日ごとに膨らんで行きました。そしてラジオ番組を通じて日本で初めて開催されたペルー出身の写真家の展覧会を知り、会場を訪れることができたのです。このフォトグラファーはもう亡くなっていますが、世界的にとても注目されており各国の美術館で展示会が開催されるほどです。飾られていたモノクロの写真からは、風景や人物の力強さと美しさや生命力を感じ、世界中の人々が魅了された理由を納得したものです。あれから月日は経ちましたが今でも会場で観た作品達は脳裏にしっかりと焼き付いています。また会場にはこの写真家の作品集も並べられており、今まで目にすることがなかったシロモノだけに私もじっくりとページをめくりました。中にはカラーのものもあり、モノクロとはまた違った光景を観ることができました。また書籍を通してペルーという国を知る事ができたことも、とてもよい時間だったと感じます。
ちなみにこの日は展覧会が開かれている会場に行くのに迷ってしまい、道行く人達に聞きながらやっとの思いで到着しました。まるで冒険家がペルーの秘境を巡る旅をしているみたいだと思わず笑みがこぼれたものです。そんな大げさな話ではありませんが、迷いながら時間を費やして行った甲斐がありました。いつかまた、このアーティストの作品に出会える日が訪れることを心から願っています。
知って得する禅の教え
最近思うことに、知るという事は生きることに幅を持たせることができるということです。よき知恵を持つことは、困難にぶち当たった時よい助けになるからです。
以前読んだ本に書かれていた「禅の教え」は生きやすくするための知恵を与えてくれました。この本は兼ねてからファンであるお坊さんが執筆したもので、「禅の言葉」を通して豊かに自分らしく生きるためのアドバイスが書かれています。生きるということは辛い事も苦しいこともあり、幸せで楽しいことばかりではありません。そして嫌な事を目の前にした時、そこから逃げてばかりもいられないものです。ではどのようにしたらよいかと考えた時に、起こったことを真摯に捉えどのように解決するかを考えることが大切だと思うのです。そのためには「思考の転換」をすることが大きなカギになるのではないでしょうか。執着しすぎず臨機応変に受け止めることをこの本は教えてくれました。
私のお気に入りの禅の言葉に「日日是好日」があります。読み方は「にちにちこれこうにち」と読むそうです。良い事ばかりではないけれどその時でなければ出来ない体験をして経験を積むからこそすべてが「好日」だという意味だそうです。これから先の未来にどんな境遇が待ち受けているかは分かりませんが、この言葉はきっと私の糧になると感じています。
南の島の生活から得る幸せ
のんびりとした気分を味わいたい時に読む本があります。その書籍は南の島でのゆるやかな生活について書かれたものです。ブックストアで青い海を連想させるような表紙を目にした時、「これだ」と思い購入しました。私は少々疲れていたこともあり、この本を読むとちょっと元気になれそうだと感じたことを覚えています。その期待は見事的中しペラペラとページをめくって写真を眺めているだけで、とても幸せな気持ちを味わうことができることに気付きました。またそこで暮らす人々が作った陶器や織物からは、島でのゆったりとした生活を知る事ができて、製作者の気持ちを垣間見ることもしばしばです。
この作品が私の大切な存在になった頃、いつかここを訪れて何もしないでただただ海を眺めていたいと思うようになりました。そんな休日はせわしない現代人にとって、とても贅沢なことなのではないでしょうか。またその土地で取れた野菜たっぷりの美味しいお料理を食べて、体の中から元気になりたいという思いで心がいっぱいになります。
そしていつしか本を読み進めるうちに、今の自分の暮らしにも役立つことがたくさん書かれていることに気付きました。それは日々軽やかにお気に入りや好きなことを取り入れることで、気持ちいい時間を送ることができるということでした。この本に載っている土地に足を運ぶことが出来なくても、この作品を読んでいる時に味わう幸せがあればそれだけで充分な気がするのです。