兼ねてから行ってみたかった洋菓子屋を訪れた時のことです。季節は秋に差し掛かる頃ということもあり、期間限定のマロンケーキが売られていて購入しました。夏に訪れた時はレモンケーキが売られていてこれにも惹かれたのですが、その日は購入を諦めたこともあり念願のスイーツを買うことが出来たことが嬉しかったことを覚えています。レジで支払いをしていたら、小さな紙袋に品物を入れてくれました。この袋は手作り感が満載で、まるでクレヨンで書いたような家のイラストにお店のロゴがプリントされていました。店員さんが施した包み方もキュートで女心を鷲掴みにしたのでした。
あれから年月が経ち、部屋の棚を整理していたら偶然にもマロンケーキを入れてくれた紙袋が出てきました。暮らしについて書かれた雑誌などに掲載されるお店の包み紙特集がお気に入りということもあり、引き出しの奥の方に幾つもの紙袋を収納するくせがあります。これらは部屋の片付けをしているといつも突然私の前に姿を現すことも多く、心をホッコリさせてくれるものです。そんな宝物を見つけたような感覚が嬉しくてついつい棚に入れてしまうようになりました。この日も美味しかったマロンケーキを思い出し、懐かしくも至福の時間を味わいました。また美味しいスイーツを購入するため、あのお店がある街に行くことを計画し始めました。
本で満たされている生活
最近の私の部屋は本で満たされています。いつもにまして活字を求める傾向が強くなってきているからかもしれません。図書館でたくさんの書籍を借り、友達や親戚の方々からもお薦めの本を譲り受ける機会が増えたからでしょうか。そのお蔭で枕元にはハードカバーの本達がたんまりと山積みされています。これは私にとってこの上なく幸せなことです。現在進行形で読んでいる小説の世界観に浸りながらも随筆やエッセイを小休憩のように手にしてみること、その日の気分で「これ」という短編小説のページを開くなど、その時々のモチベーションと作品が相まっていることに気付かされます。こんな日々を過ごしていることに幸せを感じることも少なくありません。
昨晩、長編小説を完読しました。人の心の移ろいを丁寧に描いていて、恋人同士である男女が過ごす時間がとてもゆっくりと流れる素敵な作品でした。この小説を読んでいると気持ちが洗練されてゆくのが分かり、私もこんな風に誰かを好きになりたいと思ったのでした。そのため読み終えた後も余韻が残っていて、清々しい気持ちで朝を迎えることができたのでした。
今日もまた新しい物語のページを開こうとしています。そこにどんなストーリーが広がっているのかをイメージすると楽しみで仕方ありません。これからもどうかこんな穏やかな時間を続くことを心から願っています。
奥が深い古本屋の楽しみ方
たまたま通りかかった書店の軒先で、古本祭りなどのイベントが行われていることがあります。そんな偶然に出会った時は「今日ここを通ってよかった」と思うものです。そしてラックを入念にチェックしながら買い物を楽しみます。兼ねてから読みたかった作品、これを逃したら出会うことがないであろう作品を選びレジへ運ぶのです。
さて先日読んだ随筆には、今まで知らなかったエピソードが書かれていました。古書店や街一丸で取り組む古本関連のイベントでは、書籍以外の商品が並ぶこともあるそうです。例えば何年も前に発行された観光地のパンフレット、日記、アルバム、チラシなども売られているそうで、購入する人も多いとのこと。このエピソードを読んだ時、幼い頃に遭遇した段ボールに詰められたもの達を思い出したのでした。それは旅先で購入したであろうしおりや絵はがき、観光地のパンフレットでした。箱にギッシリ詰まった品々を当時の私は興味深く手に取りながら吟味したのでした。なぜなら幼い私にとってまるで宝物のように思えたからです。後に旅行好きだった祖父が旅先で購入したのであろうと両親が話してくれたのですが、宝物が入った段ボール箱はどこにいってしまったか不明なのがとても残念です。この記憶を思い出した時、感慨深い情のようなものが湧いたものです。そして店先に並んだ古物達が、持っていた人々の記憶の中に大切に保存されていることを思うと不思議な気持ちになるのでした。
お気に入りのアイテムを着まわして四季を楽しむ
大切なものを長く上手に使うことは、とても素敵なことです。今読んでいる雑誌には様々なクリエイター達がお気に入りの洋服を着まわす記事が掲載されています。春夏秋冬に合わせたコーディネートをすることで一枚の服の七変化を見ることができるのは、なかなか面白いものです。また暖かいシーズンだけしか着ることができないと思いがちな白いTシャツやレース素材のワンピースを冬や秋も厚手のニットなどを用いて重ね着する術も学べました。特に真っ白なレース素材のワンピースを秋にチャコールのブーツと合せているコーディネートはとてもセンスがよくて私もぜひトライしてみたいと思ったほどです。そして記事に登場している方々の自分らしさを存分に生かしたファッションを楽しむ姿は読んでいる者に元気を与えてくれます。こうした記事を読んでいると四季を肌で感じながらおしゃれをすることができるのは、四季がある国で生きている特権だと感じたのでした。
図書館でパラパラとページをめくって何となく借りた本から、ファッションの真髄やセンスある着まわし術を学べたことはとてもラッキーなことです。この雑誌からはクローゼットがいっぱいになるほど洋服がなくたって、上手にコーディネートをすれば毎日違う自分を表現することができることを知りました。それはおしゃれの上級者になるための大切なポイントだと思ったのでした。
赤いリボンのカチューシャと素敵な装丁の本
化粧品が並ぶ机の上に赤いリボンが施されたカチューシャが置いてあります。大分前に購入してずっとそこにあるカチューシャを見ていると、以前参加した仮装パーティーを思い出します。秋の訪れを知らせるような涼しい風が吹く夜に、都会のビルの屋上で開かれたバーベキューパーティーに参加した時に身に着けからです。仮装のテーマは映画の主人公にもなった13歳の魔女でした。黒いワンピースと赤いリボンの出で立ちで空を飛んでいる姿は、幼い頃に映画で目にして以来、私の心に残り続けています。そのためリボンのカチューシャを雑貨屋さんで見つけた時、即決で「あの映画の主人公になろう」と決めたのでした。
仮装パーティーの当日、思いも寄らない出会いがありました。それは家の本棚からこの女の子が主人公の本が見つかったのです。オレンジ色と黄色と濃いブルーの星空が描かれている装丁に書かれた女の子と黒猫の絵は可愛らしくて美しさを感じたものです。そしていつか読もうと心に決めたのでした。
あれから時が経ち、未だにページを開くことなく大切に保管されています。表紙が見えるように立て掛けられているためか、装丁を眺めているだけで心が満たされているからかもしれません。そしていつの日か赤いカチューシャと美しい本の表紙は私の部屋に無くてはならないアイテムとなっているのでした。
ヨガのルーツを知る映画
ヨガのルーツを知るドキュメンタリー映画を観ました。私の友達にも習っている女性がおり、体にも心にもよい効果があると以前教えてくれました。そんな友人に連れられ私も過去に何度かスタジオへ行きレッスンを受けたことがあるため、この作品はとても興味深いものでした。元々は女性禁制だったこと、精神的な修行として用いられていることを知りました。ポーズ一つ一つを軽やかにそして流れるようにおこなう動作はとても美しく、人の体の神秘を感じたのでした。また現代社会でヨガを習う人が多い理由がこの作品を通して何となく分かったような気がしました。マットの上で集中してポーズをおこなうことで気持ちをリフレッシュすることは、人間関係の悩みなどから距離を置くためにも有意義だと思ったからです。ポーズと呼吸を一緒におこなうことがただのエクササイズとは最も異なる利点だということに納得したのでした。
館内にある書籍売り場にはヨガについての本が置かれていました。それらの本には普段の生活で活用できるポーズなどが紹介されておりプロポーション維持にも効果てきめんだと感じました。そして5000年以上前から伝わるヨガは形を少しずつ変えながら伝わっていることを強く思ったのでした。
ハートが奪われた美人ネコのライフスタイル
道を歩いていて猫に遭遇した時、顔や仕草をじっくりと眺めてみることがあります。まじまじと観察していると表情豊かで、顔立ちがそれぞれ異なる事に気付かされるものです。当たり前のことのようですがそれを知った時、私はとても嬉しくなり散歩をすることが楽しくなったものです。どっぷりとして体格がよくてケンカが強そうなツワモノや丹精で切れ長の目をした美しいメス猫などを目にすると彼らの世界にも人間界同様に「モテる」や「イケメン」という言葉が存在するような気がします。そんな動物観察が最近の楽しみとなりつつある私が数日前に読んだ小説には美人をいう言葉がピッタリのメス猫が登場したのでした。主人公の女性が住む家の近くがテリトリーのようで、いつもどことなく現れてはひっそりと物語に花を添えていました。単独で登場して憂いを持った表情で座っていたり、愛らしい鳴き声を発したり、ボーイフレンドと一緒に仲睦まじくしていたりと彼女のライフスタイルのチャーミングさが私のハートを掴んだのでした。また丁度良い距離感で彼女を優しく見守る主人公の姿にとても好感が持てました。猫達にも彼らの暮らしがあることを思うと、私も陰ながら眺めて見守ってゆきたいと感じるのでした。
日常の鬱憤はパワフルで爽快な小説で解消
日常に新しい風を吹かせたい時にパンチの効いた小説を無性に欲することがあります。とてつもないパワーを持つ主人公が登場する物語や社会の常識を打ち破るような力が宿った作品を読むと爽快な気分になることを経験してきたからです。それらはまるでプロテインのような栄養を心に与えてくれる作品でもあります。そんな私にとって最強のプロテインを与えてくれたのは、女性作家が書いた短編小説でした。
主人公の女性は上手くゆかない仕事にヤキモキした気持ちを抱きながら、交通網がストップした雪が降る夜の街を歩き続けた結果、おしゃれなバーに辿り着きます。道すがら転んでしまい、頭から出血しながらもカウンターに座り横を見たら何とも面白そうな奇抜な女性客が座っていたのでした。この2人は毒が籠ったシュールな会話を楽しみながら朝を迎え、高いテンションを保ちながらもバリ島へ旅立ってしまうのです。長旅と疲れで観光もせずただただ寝るだけのバリ島での数日間は、日本にいるのと同じような日常でもあり高い行動力の代償を得た特別な時間でもあったのでした。この2人のようにすべてを投げ打って短いバカンスへ行けるほどの行動力がないため、読み終わった時は潔い開放感に包まれて部屋の中で笑ってしまいました。この無謀なバカンスから帰国した女性達がその後どんな生き方をしたかは分かりませんが、これを機に少なからず何かが変わったのではないかと思います。そして私もこの小説に出会ったことで、時にはハメを外して楽しむ事を教わったのでした。
助産師さんの言葉から学んだこと
先日図書館で借りた雑誌にとても興味深い記事が掲載されていました。そこには4000人以上の命を取り上げた助産師さんのことが書かれていました。80代後半に差し掛かっても現役で命と向き合っている方の言葉は胸に響くものばかりでした。そして「産まれること」「死ぬこと」は人間の摂理であること、医療が発達しても病気は無くならいこと、命ある者は必ずこの世を去ることを改めて実感したのでした。それらは当たり前のことではありますが、遥か遠くで起きていることのように感じていました。しかしながらこの記事を読んでいるとそれらは私の身近にあるものだと思うようになったのでした。
また産まれることは祝福と闘争であるという言葉は心にスッと響きしっくりときました。なぜならばこの世界で頑張って生きてゆくことは闘争そのものだと感じたからです。そして死の訪れは無であり生きてきたことを労う時であるという文章からは、産声を上げた時点で死というゴールが必然的に与えられるのだと悟ったのでした。
「生」と「死」は潮の満ち引きが密接に関係しているそうです。このことからどんなに文明が発達したとしても、大昔からある自然の摂理と供に私達は歩み続けていることを改めて実感しました。数多くの命を取り上げてきた女性の奥深い言葉は、今ここで生きていることを大切に受け止めること、両親や家族に感謝の念を抱かせてくれたのでした。
豚の角煮でなごやかな夜を過ごしたい
料理意欲が心の底から沸き上がる時期があります。そんな時はレシピが掲載された本を片手に夜を過ごすことにしています。なぜならば「次はどんな料理を作ろうか」と考えながら眠りに着くことに至福を感じるからかもしれません。こうした生活を送っていると私はなんて食いしん坊なのだろうと思うのです。しかしながら食べることは生きることでもあるので、食への好奇心を捨てることはできません。
さて先日図書館を訪れた際にレシピ本を借りてみました。この本には夜をなごむための料理がたくさん載っていて、特に〆の麺についてのレシピは簡単で個性溢れるものばかりでした。汁なし担々麺、あっさり魚介スープのヌードルなど。エスニックな香りも漂ってきそうで頭にはパクチーが浮かんだりもします。そんな素敵な本を借りたきっかけは、過去に借りた人が着けた付箋に心奪われたからでした。なんと豚の角煮が掲載されているページに摩訶不思議なイラストの付箋が5枚位張られていたのでした。恐らく付箋を着けた方は豚の角煮を作り、お腹一杯になったことが想像できます。そして私もまた角煮作りに励もうと意気込んでいるのであります。
本との出会いは偶然と運命が伴うものです。この書籍もまた出会うべくして出会ったのであろう作品だと感じています。