若者達の群像劇から考える都会

都会で暮らす若者達がルームシェアをする小説を大分前に読みました。サラリーマン、ニート、学生など職業も年齢もバラバラな男女が織りなす日常を描いたこの小説は、まだ若かった私の記憶に鮮明に刻まれたのでした。初めて読んでから十年位が経った時、もう一度読み直したことを覚えています。それ程までに心惹かれたのは、恐らく登場人物達がみな普通にみえて普通ではなかったからかもしれません。それぞれが心の奥に闇や悩みなどを抱えており、共に暮らす住人にも見せることはないしそれを共有したいという願望もないにも関わらず、お互い気付いてしまっているところが不気味でもありました。しかしながらそれらは私達の日常にもある普遍的なことだと感じたのでした。
ふとこの小説を思い出した理由は、私の友達の話を聞いたことがきっかけでした。都会で暮らしている彼らの心には、以前読んだ小説の登場人物達と同様に様々な感情が渦巻いているように思えたからです。ある女性は「お金とパワーが必要でいつまでこうしてやってゆけるか不安になる」と言います。また手に職を持つ男性は「好きなことをやりながら何とでも生きてゆける」と語ってくれました。どちらの意見も納得できるし、物が渦巻き便利で夢を叶える場であるからこそパワーが必要だと思ったのでした。物語に登場する彼らは人間味というよりもクールさを感じたものです。まだ若かった私にはそんな姿が都会的でカッコよいと思えたのでした。しかしながらやはりカッコイイだけでは生きてゆけないところも描かれていて、それは今を生きる私達にも重なることが山ほどあることに気付いたのでした。