衝撃を与えてくれた小説

すごい小説を読みました。一度ページを開いたら止まらなくなってしまい、ノンストップという言葉がぴったりといったスピードで完読しました。この小説は殺人鬼である女性の半生を描いたものです。殺しに手を染めてゆく主人公の短絡的で自己中心的な行為は許しがたくも、どこか同調してしまう自分がいました。それは同じ女性の「さが」なのかもしれません。
主人公の心には深い闇とコンプレックスがあります。親の虐待を受けかつ残虐な事件のトラウマもあったのでしょう。幼い頃の経験が引き金となり歪んだ人格を作り出してしまったのかもしれません。特にコンプレックスや嫉妬が心の中で増幅してゆくことは、とても恐ろしいことだと改めて知りました。また生まれてくる子供に家族を選ぶことはできないこと、宿命ともいえるこの残酷な現実はとても心が痛みます。同時に成長過程における環境がいかに大切かを感じました。
最も度肝を抜かれたのは、ラストに突き付けられる思いも寄らない真実でした。それは今まで綴られてきたストーリーを覆すほどのインパクトと衝撃だったのです。衝撃は余韻と供にまるでかさぶたのように胸に残るところが、この小説の面白さだと思いました。今まで味わったことのない作品を読んだことで、また読書の面白さを再認識したのでした。

母と子の絆を描いた映画

母と子の関係は別な存在だと思うことが多々あります。幼い頃、風邪を引いて熱を出した時などお母さんが看病してくれたお蔭で、安心してゆっくりと休むことが出来たことは今でも脳裏に焼き付いています。こうした過去の思い出からもその存在感の大きさを知る事ができます。また大人になってからも話しを聴いてもらいながら一緒に食事をして、パワーをもらうこともしばしばです。長年供に生きてきたためか感情の行き違いが発生することや、意見の違いから言い争いをしてしまうこともあるけれど、大きな懐で包んでくれる愛情は特別なものだと感じます。
私は母と子の関係をテーマにした小説や映画にも触れてきました。その中でも忘れられない1本の映画があります。それは中学生の頃、映画が大好きなクラスメートの男の子から借りたビデオテープでした。14歳の早熟な男子が教えてくれたこの作品はアメリカで制作されたもので波瀾万丈な人生を歩んだシングルマザーとその娘の姿を描いたものでした。お互いの考え方を上手く受け入れることができず、切ない別れを余儀なくされるとても切ない物語で今でもふと脳裏に浮かぶことがあるものです。特に娘のウィディングドレス姿を遠くから見守る母の姿が映し出されるエンディングは、胸の奥底に刻まれています。
どんなに固い絆で結ばれていても分かり合えないことはあるものです。悲しいことにもその絆が強いほど反発し合うものなのかもしれません。しかしながらこの世に生まれてきたきっかけを作ってくれた親に敬意を払い感謝する気持ちを持つことは、今の自分の存在を受け入れることにも繋がることを心得て起きたいと思うのです。こうした思いを持つことが出来るのは大人になった証拠なのかもしれません。

小さな幸せは植物観賞から

暮らしの中でささやかに感じる幸せはいいものです。決して大き過ぎず小さくて心温まる幸福感は心の奥底に染み渡るものだと感じるし、こうしたささやかな幸せを感じることが出来る状態こそが生きていく上でいいモチベーションだと思うものです。
私の友人に土いじりが趣味な女性がいます。彼女はいつでものんびりしていて尖った感情を見せることが滅多にありません。何か嫌なことがあった時は植物に触れることで気分転換できると教えてくれたのも彼女でした。この話を聞いてから、おうちにある植物に水をやること、のびのびと成長した緑の葉などを観察しているととても心が晴れやかになることに気付かされました。
友人の話も去る事ながら植物と言えば「これ」という一冊の本があります。それは草木や野菜、花を育てることを描いたエッセイです。クリエイティブな仕事をする著者らしい観点で描かれた世界観がとても面白く、また命あるものと供に暮らすことは日常にいいスパイスを与えてくれることを教えてくれます。
日々の会話やエッセイから暮らしの中にある「ささやかなもの」に目を向けるようになりました。そんな私がここ数年注目しているのは「コケ玉」です。お花屋さんやおしゃれな雑貨屋さんでも目にすることがあり、丸くて愛らしい苔をお部屋に置いて育ててみたいという衝動に駆られるのです。決して大輪の花を咲かせることはなくとも、青々とした苔を観ることで「生」を感じることができることは、暮らしの中にひっそりと存在する非日常だと感じるからです。

昼下がりにはミステリー小説を

昼下がりの太陽が燦々と輝く午後に、家の中でゴロゴロしながら読書をすることがたまらなく好きです。そんな日は好きなスイーツを買い込み、アイスやチョコレートを食べながらただひたすら面白い小説を読み続け、あっという間に夕方になっていることもしばしばです。そんな読書三昧な昼下がりを過ごすことは贅沢だと感じている今日この頃であります。
先日近所の中華屋にランチを食べに行き、その帰りに本屋に寄りました。そこで購入したのは、大正時代の華やかな異人館が並ぶ街を舞台にした作品でした。この街には撮影所もあることから俳優、女優、作家なども集まるため、刺激と個性が溢れています。そこにある一人の少女が父親を探しにやってくるところから物語は進み、彼女が家政婦として働く洋館に住む美しいロシア人女性を巡るミステリーが展開されてゆきます。大正時代を描いていますが、まるで現代社会で生きる人々を描いているようでもあり、エキゾチックで妖艶な高級娼館の色っぽさや華やかさに魅了されたのでした。この作品の世界観にはまってしまい、気が付いたら午後6時を回っていたことは言うまでもありません。途中眠気に襲われ昼寝をしたりもしましたが、およそ3時間読書に興じました。もちろん夕食後も布団の中でその世界観を堪能したことは言うまでもありません。ミステリー小説の醍醐味は、物語にどんどん魅了されて本を開いたら止まらないところにあると改めて感じました。

新しい好きなことに出会うこと

高校時代に出会ったバンドのCDを聴いた瞬間、衝動を覚えました。それはパンクと呼ばれる音楽でした。この世の粋も甘いも知らずに生きてきた私はパンクを聴いた時、すごいものに出会ったと感じたのでした。それからというもの、友人と学校の帰りに中古レコード店に寄り、CDや雑誌を購入したのを覚えています。その頃様々なジャンルの音楽雑誌が発売されていて、未知のジャンル知りたかった私はそれらを食い入るように読んだものです。ミュージシャンがどんなことを考え、どんな風に曲を作ったかを知ることはよい勉強になると供にアーティストを身近に感じる手段でもあったのだと思います。そんな心を突き抜けた衝動はそれから先、何度か経験することになるのですが、いつもまるで初恋をしたように心がパッと明るくなったことを覚えています。そしていつでもCDなどの媒体を通して作品を聴いて、そのミュージシャンについて書かれた雑誌を読んで音楽を身近に感じてきました。あれから時が経った今でも、こうしてたくさんの作品に触れてきた事は私の人生の大きな宝物だと感じています。年齢を重ねて胸を打つような衝動に出会うことも少なくなりましたが、時折学生の頃のような強い思いに駆られることがあります。こうした気持ちは新しい世界に足を踏み入れたような感覚を覚え、ワクワクしたとても前向きな気持ちになるものです。そしていつまでも新しいことを貪欲に受け入れる心を持っていたいと思うのです。これから先も音楽のみならず小説やエッセイなど電撃的な出会いがある事を楽しみに生きてゆきたいものです。

ヨガの哲学を学んで

この間の週末に、とっても面白いワークショップに参加しました。それはヨガの哲学についての講座でした。ここ最近ヨガ人口は増えつつあります。その魅力は体にもよいことはもちろんのこと、心の調和をとることにもいい効果があると言われているからだと思います。特に哲学についてはとても奥深いメソッドがあるようで、兼ねてから知りたいことの一つでした。そのため参加したワークショップではヨガを根本から知ることが出来たとてもよい時間となりました。
インドでは貴族や僧侶らがおこなうもの、厳しいカースト制度の中で学ぶことが自由にできない人々がおこなうものと大きく二つにくくられているそうで、特に後者は例えるならクラシック音楽の中で異端児のようにロックをやるようなものだそうです。その例えがとても斬新で、ユニークでした。この日はヨガの教えについて書かれた本も紹介いただき、近々購入しようと思っています。本屋にはインドの言葉を和訳したこうした書籍がたくさん並んでいるそうです。今まで手にしたことのないジャンルを知ることは、とても心が踊ります。また日常生活に生かすことができる心との向き合い方も今回のワークショップを通して得ることができました。こうしたカリキュラムからは自分を大切にすることやそこから生まれる人への思いやりといった忙しさに紛れて忘れがちな事を再発見したものです。これからも面白そうなイベントには積極的に参加して、豊かな雑学を貯蓄していこうと思います。

庭が美しい京都のお寺

本のページをペラペラとめくっていたら、京都について書かれた記事を見つけました。お寺や喫茶店、おばんざい、和菓子などこの街にはたくさんの魅力が詰っています。特に寺院はこの都市の顔とも言える存在であり、それぞれの特色を生かした建造物は訪れる者の心を穏やかに優しく包み込んでくれそうです。
この書籍には庭が美しいお寺が特集されていて、それらの建造物を巡る歩き方と供にコースが組まれていました。紹介されている寺は砂に幾つもの線が描かれた芸術色の高い庭ばかりで、その写真からも静寂と美しさを感じることができます。縁側の畳に腰をかけてずっと庭の景色を眺めていても決して飽きることはなく、そこにある緑や花や鳥の声などすべて変化する一瞬一瞬の情景を楽しめそうです。そんな時間を過ごすことは、日常においてとても贅沢な時間だと思うのです。
私もいつか美しい庭を巡る旅をしてみたいとこの書籍を読みながら思いを馳せています。そんな旅は非日常の静けさを肌で感じることで五感が研ぎ澄まされ、今まで思ってもみなかった良いアイディアが生まれてきそうです。そしてその思考は生活の糧として日々の暮らしによき変化を与えてくれそうです。こうした非日常を体験することこそが旅の醍醐味なのだと感じます。

窓を伝う雨の見ながら

雨がしとしと降る日は憂鬱な気持ちになり、外に出たくないと思うことがあります。そんな感情とは裏腹に神秘を感じることもあるものです。以前女性ミュージシャンのインタビューを読んだ時のことです。その記事では透明感溢れる新曲が出来るまでの経緯を語っていました。夜に見たタクシーの窓を伝う水滴が美しくかったことがきっかけとなり新しい曲が生まれたとのことでした。この記事を読んでから私も電車に乗っている時に窓を伝う雨を気に掛けるようになったものです。ガラスを伝いながら一定方向に動いてゆき、辺りを照らす光と供に数秒で変化を繰り返してゆく姿は美しくもあり切なくもあります。そしてその光景はいつしか心を落ち着かせてくれるものとなりました。こうしたことから雨をテーマにした音楽や小説が多く誕生していることも納得できます。ちなみに女性アーティストが歌った曲は切ないというよりもすがすがしさと心地良さをもたらしてくれます。そのため今まで抱いていた悲しさや憂いといったものから美しさへとイメージは変わってゆきました。
もし雨の日に窓の外をじっくりと眺める機会があったなら、一休憩してその光景に心を馳せてみるのもよいかもしれません。この一休みは乾き気味の心にも潤いを与えてくれそうです。

10代を歌った曲が与えてくれたこと

小学生の頃に友達と宝物を公園の木の下に埋めようと企画をしたことがありました。大人になった時にそこを掘り返して子供の頃に埋めた大切なものを掘り起こしたらどんなに楽しいだろうと思ったからです。実現せずに終わりましたが、計画していた時間は思い出として心に刻まれています。そんな思い出がふと頭をよぎったのは、先日ラジオから流れた曲を聴いたことがきっかけでした。それは10代の若者達が大人になった自分に手紙を書くという歌詞が胸を打つ素敵な曲でした。詞にはどんなことがあっても今を生きていくことの大切さが描かれており、未来の自分が幸せであって欲しいというストレートな言葉はとても勇気づけられました。
私が10代だった頃もやはりその年代ならではの悩みを持ち、葛藤していたことを思い出します。そして年を重ねた今ではその頃の悩みの答えは、迷宮入りしてしまったような気がするのです。生きているということはいつの時代でも幸せなことばかりではなく、挫折や苦悩があるものです。こうした壁にぶち当たった時にふと耳にした音楽や手にした文学に励まされることも幾度と経験してきました。それは10代の私も同じだったように感じます。これから先も芸術作品を通して学び、友人や家族と助け合いながら濃密で奥が深い生き方ができればよいと感じています。

親と子の関係を描いた考え深い小説

家族とは生まれて初めて人間関係を築く場所です。そのことに気付いたのは年を重ねてからでした。またこうしたことを真剣に考えるきっかを作ってくれたのは今まで出会ってきた小説や映画だと思います。奥が深く濃厚な作品達は家族というコミュニティで葛藤しながら生きる人々の姿を鮮明に私の心に焼き付けてくれました。そしていつまでも色褪せることなくずっと胸の中にあり続けています。
先日読んだ作品に思春期を皮きりに父の事業や仕事に反発してきた男性が主人公の小説があります。お互い長い間会うことはなかったのですが、父が病に倒れたことをきっかけに再開を果たします。心は通い合わずにすれ違ってはきましたが、この親子は憎しみ合うという形をとりながらもお互いを必要としていたことをこの小説は描いていました。そんな二人が現実とは異なる世界で出会い、過去の出来事を振り返りながら旅をしてゆきます。その旅はほろ苦くもあり気持ちを前向きにしてくれるものでした。また確執を少しずつ解消してゆくことは、この男性を大きく成長させる糧になり、自分の家族に対する意識にもよい変化をもたらしました。
「幾つになっても親は親、子は子」と言います。この小説は親と子の絆は繊細だけれど強くて太いパイプのようなものだということを改めて気付かせてくれた素敵な作品だと思いました。